10月9日(金)保科百助の話

 西内小学校で保科百助について話した際、何冊か刊行されている本の記述をもとに、「保科校長をよく思わない村民もいたことから、校長をしていた学校を去ることになったけれど、村誌を編さんする際、村の教育に貢献した教育者として保科百助だけが紹介されることとなった。」という話をしましたが、本当におおもとの村誌にそう書いているか気になって、知り合いの公民館長さんを訪ねたところ、当時の村誌のコピーを貸してくださいました。確かに「思い出の先生」という項があって、保科百助だけ紹介されていました。「自由平等等を叫び率先部落解放等を提唱するような、頗る進歩的な思想の持主」という記述もありました。